2017.11.10
1st day プラスワン~小林法子~
都道府県別、ゴルフ場の施設数は千葉県が全国3位。今季、レギュラーツアーは5試合が開催されている。「今年はLPGA創立50周年。半世紀です。今、活躍中の選手が生まれるはるか前の話。LPGAは世の中の流れ、経済状況などをそのまま映し、ともに歩んできた。私は、そういうところが素晴らしいと感じます」。
プロ1期生。いったい、当時はどんな状況だったのか。「私の故郷、千葉を例にあげると、女性がゴルフをプレーする。とても信じられないこと。お医者さまのご夫人や料亭の女将さんなど、ごくごく限定された人の趣味でした。輪タクで練習場へ-おとぎ話のようでしょう」と懐かしそうに話す。
千葉県内唯一の練習場。そこが小林の勤務先だった。「ネットは千葉県らしく、地引網を利用して、天井には金網を乗せていた。打席は、土俵と一緒で、にがりを練り込み、土を固めたものです。私は、事務員として働き始めて、事務所においてあった業界紙から、女子のプロテストが行われることを知った。見よう見まねでクラブを握り、テキストなどは全くない。最初は芝のゴルフ場で、応募した7、8人が並んで打つ。テストではなく、研修会へ進む、適正審査でした。そこを通過して、月例会へ参加できる。1回目のテストは、いわばセレモニーのよう」。
さらに続ける。「プロになるまで先輩も仲間もなし。加えて、プロになっても試合がない。ひたすら、練習を行った。クラブ1本でひたすら、バンカーショットです。1日中。コースでプレーするお客さまが、1番からスタートする前に開始して、ホールアウトしても、まだ終わらなかった。おかげで、たくさん技の引き出しができましたよ。教えてくださる人がいないから、自分で工夫を重ねて。今、思えば、一芸で生きてきた感じがします」。七色のアプローチは、こうして誕生する。
一方で、重大なピンチにも直面した。「結婚して、流産が原因で、左手の握力が極端に弱くなって。パターを持てない。どん底です。そんな時、自分からゴルフがなくなってしまったら、何が残るのか、と熟考した。結論は、通院しリハビリを行いながら、またゴルフをする。23歳でした」。
取材中、何度も「おとぎ話」というキーワードが飛び出す。その理由を質問した。「私がプロになった頃、スカートを着用してはダメ。口紅を引いてはいけないなど、たくさんの制約があった。極端なことだけど、千葉にはマンシングウエアを販売する店がない。手に入れるためには、銀座まで行かないとなりません。おまけに高価だし、デザインも選べない。だって、男性用を小さくしたものが、女性用だったから。そんな時もあったことなど、今の選手は知らないでしょう」という。
男子にはない、魅せるというポイントで、劇的に変化したのは、「岡本綾子さん、鈴木美重子さんなどが出てきた時だと記憶している。日焼けを防止するために、お化粧は当たり前。マニキュアをして、イヤリングもつけた。ある意味、彼女たちは、女子ゴルフに革命を起こしたと思います。テレビ放送も増えてきた。派手すぎるなど、いろいろな意見があったけど、私は良かったと思い、応援しましたよ」と前置きし、しみじみと語ったことは、「今は、10代の選手からベテランまで本当に頑張っている。ファッションにもスキがありません。日本経済の豊かさを感じる。そこで、ファンの皆さんへお願いしたいことがあります。もっと、アスリート目線で選手を見てください。そうすれば、さらに選手の資質が発揮されるでしょう」。
隆盛の時代だからこそ、心に響く、すべてが新鮮なエピソードだった。
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