1. ホーム
  2. ニュース&トピックス
  3. JLPGA 新しいヒロイン《96期生・髙木 優奈》

2024.1.12

JLPGA 新しいヒロイン《96期生・髙木 優奈》

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

たかぎ・ゆうな=1998年5月13日、神奈川県小田原市出身

 遅れてきた黄金世代が24年、リ・スタートを果たす。すでにメンバーになっていたALPGAツアー参戦のため14日、オーストラリアへ出発する。1年前は失意から立ち上がるために同地を訪れた。そして、新たな希望を見出し、23年の最終プロテストでついに合格を果たす。テスト受験数は6回。のべ7年の歳月が経っていた。

 最終プロテストの呪縛から解き放たれると、持ち前の資質が徐々に頭をもたげてくる。ファイナルQTを14位で突破し今年、第1回リランキングまでのJLPGAツアー出場権を獲得。勢いがつき生涯、最初で最後のチャンスであるJLPGA新人戦 加賀電子カップで完全優勝を飾った。

 「勝てて良かった。だけど、あの優勝で満足している、とは思われたくありません。誤球があった。確認ミスで誤球という人生初の大失敗を経験したし・・・。試合を冷静に振り返ると3パットも多い。第1日、1番が5メートルから。第2日は5番で3メートルから3パットはいただけません。完ぺきな内容で優勝したわけではないし、かといって悲観することもないでしょう。伸びしろがたくさんある。シーズンがスタートするまで、もっと精進します」と話している。

 キャリアを振り返ると、TP単年登録で19年はステップ・アップ・ツアーのANA  PRINCESS CUP優勝を果たした。コロナ禍の20-21年シーズンはJLPGAツアーへ出場したが、メルセデス・ランキング57位でシード権獲得は成らず。一方で、この間にもプロテストを受験したものの、なぜか本番では、「1、2回目は120%の力を出さないと合格はできないと思っていたけど、3回目はステップで優勝したから、今度は大丈夫と手応えがありました。しかし、最終日に大叩きで・・・。試合で中途半端な成績を出しているから、それがジャマをしてだんだん受験がイヤになった」という。

 フーッと息を吐き出し、続ける。「21年、城陽カントリー倶楽部の最終プロテストは、ここで合格しなければ、通るコースなんてない。そんな気持ちでいた。結果は焦りがあって1打足りず、です。翌年の最終プロテストは第3日の朝から、プレーをするのがイヤで帰りたい。涙を流しながらスタートしたわけですから、スコアなんて出ません。最終日、もうゴルフをやめると両親やコーチへ伝えました。試合ではいつも楽しいけど、なんでしょうね」。それでも、ゴルフはやめられなかった。約1か月半の休養を経て、スイング改造に着手。ただし、日本で試合への出場権はない。活路をオーストラリアへ求める。再び、ツアーへ出場。形ではない。たくさんの経験を収穫に変えて帰国した。

 「英会話はできないけど、皆さんが助けてくださった。たとえば、パクジヘさん。オーストラリア在住でJLPGAツアーのメンバーです。初対面でしたけど、とても親切でした」。環境を変えたことで生気がよみがえる。さらに、年間を通して続けてきたことがある。メンタルの強化だ。「毎晩、就寝前に本田圭佑さんが出演した、プロフェッショナルの動画を繰り返し見た。それで感想や役に立つことを呪文のように唱えながら寝る。いつの間にか、気持ちが軽くなっていた」そうだ。

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

 プロフィールへ目を移すと、特技は「バク転」と書き込まれていた。小学2年から5年まで器械体操を。「私は好きではなかったけど、最も点が出たのは平均台。すごく難しい。考えている時間などありません。とにかく演技をする。台へ乗ったら覚悟が決まった。毎日、練習していることをやればいいだけですけど、失敗をすれば落下する。手首をけがしてやめたんですけど、時間を持て余してしまった。たまたま、父と練習場へ行ったことがきっかけで11歳から、ゴルフを。バク転に関しては、今でもできるだろうと思ったから、軽く書いただけです」と、意外な一面を明かしている。

 プロゴルファーとして目標を質問した。「私のプレーを見てくださった方が、ひとりでもふたりでもいい。ゴルフは楽しいなぁ。応援する楽しみが増えたよ。そういっていただける人を毎日、ひとり増やすこと」。ありきたりではないところが、プロフェッショナルの流儀なのだ。

 思慮深く、丁寧。7年の苦難に打ち勝った賜物だろう。24年のシーズンへ向け、「両親の楽しみをひとつ増やすことができた。父は、たとえばコースへ向かう際、前の車のナンバーが80だったりすると、80も打っちゃうかなぁ-と思うような人です。母は、こちらがお願いもしていないにかかわらず、ツアーへ帯同する気持ちが満々。今まで、ちょっと怖くて、私のプレーを見ることができなかったから、今年は旅行兼、観光兼、試合観戦ができるかなぁ。とても気持ちがサッパリした両親で、テストに落ちても悲しむわけではなく、怒るわけでもなかった。だから私は、ゴルフを続けられたのかもしれない」。

 さりげなく、感謝の気持ちを言葉にした。ちなみに自己PRは明るい性格。曲がらないショット。しびれるパット入れます-である。

(青木 政司)

このニュースをシェアする

記事検索記事検索ARCHIVE

search検索