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2024.1.12

JLPGA新しいヒロイン《95期生・荒川 怜郁》

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

あらかわ・れいか=2001年6月10日、沖縄県うるま市出身

 第1回リランキングまでの出場権を持って臨んだ23年シーズン、25試合に出場し、メルセデス・ランキング82位で終了となった。フジサンケイレディスではベストフィニッシュとなる2位タイで終えたが、シーズンを通してトップ10に入ったのはこの1試合のみ。思うような結果を残せなかったことにはいくつか理由がある。1つが5月初旬、トレーニング中に重さ20キログラムのダンベルを左足に落とし、親指を複雑骨折してしまったこと。9試合を欠場し、7月の大東建託・いい部屋ネットレディスで復帰したが、しばらくは本来のゴルフをできなかった。

 また、自分の体力に裏切られたことも予想外だった。「シーズン前にしっかりと準備をしていなかったせいでもありますが、シーズンを戦い抜くだけの体力がなく、正直疲れた状態で試合に出ていました」。左足のケガも疲れからくる集中力の欠如が遠因にあった。「おそらく骨折しなかったとしても、体のどこかを故障していたんじゃないかと思います」。ただ、シーズンに臨む上での準備不足は反省するが、年間を通して頑張った1年だったと自己評価は高い。

 「ツアーに復帰してからも、シード権をあきらめずに、最後まで一生懸命にゴルフに取り組めたことは良かったと思います」。ツアープロは結果が全ての世界であり、それが評価の基準となるが、荒川はあえて過程を重視したいという。「目一杯頑張ったなら、たとえ結果が良くても悪くてもいいと思うんです。でも、頑張らなかったのに結果がいいのは意味がないと思います」。確かにラッキーだけで結果を残しても長続きはしない。たとえ結果を残せなくても、努力したうえでの結果ならまたチャンスが訪れる可能性は高い。

 まるで少年漫画のような努力と根性を信条とする荒川だが、これまでのゴルフ人生では常に前向きな姿勢を貫いてきた。地元・沖縄県のコザ高校へ進学したが、ゴルフ部がないことを知ると、同好会を立ち上げた。3年のときにようやく新入部員が1人入ってきたものの、それまでは1人で活動していたという。必然的に個人戦にしか出場できなかったが、九州大会や全国大会などの上位大会への出場は少なかった。というのも、飛行機で移動しなければならず、交通費などの負担が重くのしかかっていたからだ。

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

 それでも中部学院大学進学後は一気に才能が開花する。「試合にたくさん出て経験を積んだことが良かったと思います」。不足していた実戦経験を補えたことで、スコアメイクなどが良化し、朝日杯争奪日本女子学生選手権を制した。さらには、22年ダイキンオーキッドレディスで10位タイに入り、最終プロテストにも合格した。

 24年はステップ・アップ・ツアーが主戦場となるが、レギュラーツアーに出場できるチャンスがあれば、虎視眈々と上位を狙うつもりだ。「最初からスムーズにシード権を獲得できなくて良かったと思います。心が折れたときに立ち直りにくいですからね。最初に心が折れておけば、悪くなってもすぐに立ち上がってはい上がろうとしますから」。そんな雑草魂が燃え続ける限り、荒川の成長は止まらないだろう。「将来的には息の長い選手になりたいですが、通算で5勝、いや2ケタ勝てるといいなあ」。その目標を叶えるためにもドライバーショットの精度が課題となる。昨年はドライビングディスタンスで257.41ヤード(6位)だったが、フェアウェイキープ率が55.2239パーセント(82位)と今一つだった。その数字をどこまで上げることができるか、荒川の底力に注目だ。

(JLPGAオフィシャルライター・山西 英希)

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