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2024.1.25

JLPGA 新しいヒロイン《96期生・木村 怜衣》

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

きむら・れい=1999年10月18日、宮城県仙台市出身

 ようやく、プロのスタートラインへ並んだ。年々、若年化に加え、激化するJLPGAツアー。96期生の最終プロテスト合格者も苦労を重ねた選手が多い。

 受験回数は6回。決して早かったとはいえない。「私はまったく変わっていないつもりでも、周囲で応援してくださる方が増えました。プロって、いわれると、ちょっとはずかしいけど、うれしい。本当にありがたいことです」と、満面に笑みをたたえて話してくれた。

 初挑戦が19歳。年女の24歳だった23年は合格を含めて転機となる。前回の受験後、持病だった椎間板ヘルニアが思わしくなく、歩行にも困難をきたすように。まずは回復が最重要課題となったが、強い信念で克服した。

 「おかげさまで、治療がうまくいきました。私にとってプロゴルファーは唯一無二の職業。中学時代、プロを目指すと決意し、ゴルフだけをやってきたからです」という。合格で誰よりも喜んだのは眼科医のお父さん。「元々、父と練習場へ行ったことがゴルフとの出会いです。プロになることは私と父の悲願。親孝行ができましたけど、これからが大切です」。

 転機は青山充コーチに指導を受けたことだった。特性はトップクラスにもあげられる、250ヤードをこえる1Wの飛距離だ。ただし、精度がいまひとつ。「ボールが曲がる要因をデータにして、数字であらわしてくださった。練習はかなりしています。おかげさまで、去年の秋口から精度がすごく高まって、プロテストも合格できました」ということは、流れをつかんだ証なのだ。

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

 もっとも、すぐに結果が出たわけなどない。春先からミート率を向上させるために、「クラブのシャフトを短くしている。45.5インチから、44.25インチへしたことが第一段階」とも。好きなことなら努力はいとわない。天性の負けず嫌いと忍耐が今日を支え続けた。

 「8歳でクラブを握ったころから楽しい。球技はセンスがないから、いまひとつですけど、水泳や陸上競技などは、割とスムーズにマスターできた。ところがゴルフはクラブへ静止しているボールがうまく当たらない。なんで当たらないのか、ムキになってやっていると、すごくおもしろくなった」と前置きし、「ゴルフの魅力って、気が抜けないところにある。自然が相手で、しかも同じ状況が二度とない。一期一会ですよ」と奥深さを語る。

 一方で、ユニークなこともある。当然、プロフィールの得意クラブの項へ、1Wと明記するものと思われたが、訂正しパターと書いた。「自由に打てることがいい。一番好きです。ラインへ乗せれば、後は知らない-という感じがいいのかも・・・」。今オフ、千葉へ拠点を移し、100ヤード以内のショートゲームの精度を向上させることと、グリーンまわりのチップショットで、バリエーションを増やすことをテーマとして練習を行っている。

 「三姉妹で、姉ふたりは薬剤師です。いずれも、資格試験で合格。職業を得たわけですから、特に私は今年、結果を出して、薬剤師免許を超えなければなりません」が目標。特技は睡眠が深いことだ。長い人生にとって、大切な資質。アスリートは体が資本である。両親へ感謝しなければならない。

(青木 政司)

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