1. ホーム
  2. ニュース&トピックス
  3. Day 1〜プラスワン プレーヤーズ委員長が語る21年ー青木瀬令奈

2021.3.4

Day 1〜プラスワン プレーヤーズ委員長が語る21年ー青木瀬令奈

<Photo:Ken Ishii/Getty Images>

第34回ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント 琉球ゴルフ倶楽部(沖縄県)第1日

 春が来た。青木瀬令奈はプロになって11年目のシーズンである。選手であると同時に、昨年からプレーヤーズ委員長の重責を担う。コースでは自身のプレーへ精力をつぎ込み、一方で多くの選手の声へ耳を傾ける。2020、21年が統合された史上最長のJLPGAツアーは、さらなる進化を遂げそうだ。いったい、何が変わったのだろう。

 「最終プロテストに合格し、その後の4年間は主にステップ・アップ・ツアーへ出場していた。時おり、主催者推薦でJLPGAツアーへ。私の場合はそんな感じです。2014年のファイナルQTで翌年のJLPGAツアー出場権を得ることができた。15年から参戦して思うのは、今の若い世代の勢いと安定感。今年、シード選手は40代が2人、30代も数えるほどしかいらっしゃらない。年々、若い世代が台頭してきた。危なかしさがない。みんな安定して上手だし、総合力が高い。私のルーキー時代は、ベテランの技術力、安定性が際立っていた。当時、1日だけなら、若手がポーンと上位へ飛び出すことはあっても3日間、4日間のプレーが続けば、実力がモノをいう。ところが、現在のツアーは若手が飛び出して、そのままの勢いで勝ってしまうことがある。当然、勢いだけではなく、総合力が高いからでしょう。すごいなぁと思う。いい選手が粒ぞろいです」と分析する。

 ただし、すべてがそういうケースではない。各試合で、勝者は1人。経験から、下積みの苦労を忘れない。

 「歴代のプレーヤーズ委員長は、エリート街道を歩んできた方が多い。プロテストへ合格→ファイナルQTで出場権を獲得→シード選手という流れでしょう。そういった方と比較しても、私はお金がない時の苦労を忘れてはいません。明日からのステップ・アップ・ツアーの遠征費をどうしょう…。そんな時期があった。自宅から、車で30分ぐらいの距離にある練習場へ通うのも、ガソリン代がもったいない。練習へ行くのをどうしようと悩んだ時があった。女子プロは華やかに見えるけど、いろいろな立場の選手がいます。経済状況、家庭環境など、シード選手だけでやっているわけではない。そんな選手もたくさんいます。たくさんの選手の声を届けることができれば、去年と今年、委員長になった意味があるのかなぁと思う」。

 ということで、「いろいろ選手から連絡をいただきたい。意見がないより、あった方がいいでしょう。プレーヤーズ委員会は、協会と選手との架け橋。コロナ禍の去年、小林会長から今、選手はどんな気持ちでいるのかなど、頻繁にご連絡をくださった。その都度、さまざまなアンケートを実施して、集約。フィードバックしています。確かに、100パーセント反映されるわけではないけど、協会の理事の皆さんと意思疎通ができる。つなぎ役になれたらいいなぁと思って、精いっぱいつとめている」という。

 苦労を重ねているからこそ、面倒見がいい。こんなエピソードがある。渋野日向子のスター性を最初に見抜いた選手だった。TP登録時の2018年アース・モンダミンカップ第1、第2日を同組でプレーしたことが縁だ。「アースはとても大きな試合。結果は予選落ちでも、(600万円獲得の)ホールインワンで名前をポーンと出した。一緒にプレーして、とにかくいいプレーをする。その時から保護者の目線です」と満面の笑みをたたえた。

 さらに続ける。「年々、同組でプレーする選手で最年長という機会が増えた。競技者として負けないぞ-という気持ちはあるけど、今は見守る立場。私も頑張るけど、一緒にツアーを盛り上げていこうよ、そんな目線も出てきた。私をアピールするだけではなく、女子プロゴルフ界の全体を見られるようになったと思います。JLPGAツアーは、とても注目を浴びている。でも、この先は人気などが下がることもあるでしょう」と前置きし、「現在が当たり前と思ってはいけない。例えば、ゴルフメーカーさんから、用具を提供してくださることが当然、と考えている若手が時々います。ボールを1ダース、提供してくださることに感謝の気持ちを持ち続ける。そんな気持ちがなくなってはいけない。いろいろな方のお陰で、ツアーが開催されています。選手は未来永劫、忘れてはいけません」。口調が熱を帯びる。

 そして、遠くを見るような感じで、原点を語った。「7歳からゴルフを始めました。当時、練習嫌いで、1日50球打ったらもう十分。続けたのは、上手くなればなるほど、いろいろな試合へ出場できて、日本中に友だちができることが楽しかったからです。中学1年、13歳で大王製紙エリエールレディスオープンへ主催者推薦で出場させていただきました。初めてのプロの試合。ご縁があって、その年に賞金女王になった大山志保さんと練習ラウンドをする機会に恵まれました。すごく緊張したけど、大山さんがすごく優しく接してくださった。素晴らしい社会科見学。それまではプロになりたいとは思っても、なれるかなぁと不安を感じた毎日です。でも、あの時からプロになることが具体的な目標に変わった」。

 十年ひと昔といわれるが、連綿と受け継がれたあこがれの選手と同じフィールドへ-の流れは不変だ。きょうから、2020-21年シーズンが再開。百花繚乱の戦いである。

(メディア管理部・鈴木孝之)

このニュースをシェアする

記事検索記事検索ARCHIVE

search検索